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2016年7月17日第452回 阪神電気鉄道 元副社長 井本一幸さん
2016年7月10日第451回 大阪天満宮 宮司 寺井種臣さん(2)
2016年7月3日第450回 大阪天満宮 宮司 寺井種臣さん
2016年6月26日第449回 相建エンジニアリング 木越正司さん(2)
2016年6月19日第448回 相建エンジニアリング 代表取締役 木越正司さん
2016年6月12日第447回 大阪府警察本部 交通部長 小澤孝文さん(2)
2016年6月5日第446回 大阪府警察本部 交通部長 小澤孝文さん
2016年5月29日第445回 番組パーソナリティー 三枝輝行(14)
2016年5月22日第444回 番組パーソナリティー 三枝輝行(13)
2016年5月15日第443回 番組パーソナリティー 三枝輝行(12)
2016年5月8日第442回 番組パーソナリティー 三枝輝行(11)
2016年5月1日第441回 番組パーソナリティー 三枝輝行(10)
2016年4月24日第440回 番組パーソナリティー 三枝輝行(9)
2016年4月17日第439回 番組パーソナリティー 三枝輝行(8)
2016年4月10日第438回 番組パーソナリティー 三枝輝行(7)
2016年4月3日第437回 番組パーソナリティー 三枝輝行(6)
2016年3月27日第436回 番組パーソナリティー 三枝輝行(5)
2016年3月20日第435回 番組パーソナリティー 三枝輝行(4)
2016年3月13日第434回 番組パーソナリティー 三枝輝行(3)
2016年3月6日 第432回 番組パーソナリティー 三枝輝行(2)
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第452回 阪神電気鉄道 元副社長 井本一幸さん 2016年7月17日
今回のゲストは阪神電気鉄道で副社長を務められた井本一幸さんです。

【西宮で育った幼少期】
福男選びで有名な西宮戎の近くで育ちました。
まだ戦争の焼け跡が残っていて、空き地も多く遊ぶところには不自由しませんでした。
野球が流行り出したころで、道具を手作りして遊んでいました。

【灘中学校へ進学】
勉強は好きでした。特に本を読むのが好きでした。童話からはじまり、江戸川乱歩の怪人二十面相が好きでした。小学校4年生の時に受けた知能テストの成績が良かったようで、学校の先生が灘中学校に入れるように教えさせて欲しいということになりました。
勉強熱心な地域だったのかもしれません。灘中学校に入ると野球部がなかったので、友達同士で集まって、野球クラブを作りました。勉強漬けのような学校に思われますが、そんなに勉強しているつもりはありませんでした。

【大阪府立大学へ】
親から国公立の大学へ行ってほしいと言われていたこともあり、縁あって府立大学へ入学することになりました。準硬式野球に入部し、最初は10人しか部員がいませんでしたが、卒業するころには30人ほどになり、チームとしても強豪校になっていました。卒業した2年後には全国大会へ出場するくらいのレベルになっていました。

【校友会の会長】
平成17年に、大阪府立大学、大阪女子大学、大阪府立看護大学の3大学が統合することになりました。当時、経済学部のOB会の会長をしていましたが、全体の同窓会のまとめ役になって欲しいと言われ、受けることにしました。8万人の校友会の初代の会長を務めさせてもらいました。

【阪神電車へ】
ゼミの先生から阪神電車を勧められ、沿線で親しみもあったので入社試験を受けました。
入社してからの6ヵ月間の研修期間で、鉄道部門から総務、経理、人事、営業など一通りの仕事を体験しました。入社した年に不動産部が新たに誕生し、研修中に面白いと思っていたら、そのまま不動産部へ配属されることになりました。

番組へのご意見・ご感想をお待ちしております。
宛先は・・・
<ハガキの方> 〒530−8304 MBSラジオ 「 三枝輝行の商い勘所 」
<メールの方> sae@mbs1179.com

第451回 大阪天満宮 宮司 寺井種臣さん(2) 2016年7月10日
先週に引き続き、7月25日天神祭を控えた大阪天満宮の寺井宮司にお話を伺いました。

【日本三大祭り・天神祭について】
大阪天満宮が949年に創建されて以降、翌々年には祭りの原型のようなものができていたのではないかと推測されます。歴史は受け継がれていき、大坂城を築いた豊臣秀吉から拝領した「催太鼓(もよおしだいこ)」が起源と言われる「太鼓中」という講社もあります。江戸時代になると堂島に米市場が置かれ、経済都市として大阪が大きく発展したこともあり、かなり賑やかな祭りとなっていたと思われます。

【寺井宮司の天神祭】
御鳳輦と呼ばれる、菅原道真の御神霊を奉安する乗り物と一緒に動きます。

【クラウドファンディングで祭りの資金集め】
日本三大祭りと呼ばれる「天神祭」には色んな費用が掛かります。その費用を少しでも多く集めるために、インターネットのクラウドファンティングを通じ、その資金集めを行っています。昨年は目標の金額を達成することができ、5000発の花火を打ち上げることができました。大阪を代表するお祭りに皆さんも協賛して頂いて、盛り上げて下さると嬉しいです。

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第450回 大阪天満宮 宮司 寺井種臣さん 2016年7月3日
今回のゲストは、南森町にある大阪天満宮の寺井宮司です。
7月25日に行われる天神祭の準備でお忙しいところお邪魔させて頂きまして、
大阪天満宮や天神祭についてお話を聞いてきました。

【大阪天満宮について】
菅原道真を祀っている神社で、天神様を祀っているところは全国に1万社ほどあると言われています。菅原道真というのは、それだけ庶民から人望があった人物と思われます。
才能にあふれ、藤原家繁栄の時代にあって右大臣というポストにまで就きましたが、藤原時平によって九州の大宰府に左遷されることになり、摂津中島の大将軍社に参詣した後、太宰府に向かいました。その約50年後、949年のある夜、大将軍社の前に光り輝く七本の松が生えたそうです。この不思議な出来事を聞いた村上天皇は「これを道真に縁の奇端である」として、大阪天満宮を創建したそうです。
天満宮の土地は大将軍社から借りているということで、元日に借地料を大将軍社におさめる「拂暁祭」(ふつぎょうさい)が行われています。

【天神様の姿】
菅原道真の姿は時代と共に変わっています。死後〜鎌倉時代までは怨霊として、すごく怖い顔で描かれていますが、室町時代に入ってからは学問の神様として捉えられるようになりました。一人の人物がこれほどまでに印象が変わるというのも珍しいと思います。

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第449回 相建エンジニアリング 木越正司さん(2) 2016年6月26日
ゲストは、先週に引き続き建設会社の相建エンジニアリングの木越正司さんです。

【工事現場の監督業】
工事現場は色んな人が集まって、建築物を作ると言う目的に向かって進んでいきます。
その現場には様々な問題が出てきます。問題があまりに多く発生すると、現場の士気や品質に関わってくるので、その都度、丁寧に一つずつ解決し、また未然に防ぐためにも人間関係を築いていくことが大切です。

【博士号取得し独立】
工学博士号を退社する1年前に取得することができました。勤務しながらだったので、大変なこともたくさんありましたが、何とかすることができました。新しい生活に対して不安はありましたが、運よく契約を結べた会社があったので、何とか困らずに済みました。

【プレストネット工法】
斜面の造成について「プレストネット工法」という独自の新しい考え方を思いつきました。
斜面の崩落の防止に役立ち、環境にも優しい技術となっています。
これからは安心できる生活・国づくりのために、色んな土木技術を駆使して、災害を未然に防いだり、早く対処して被害を広げないようなことをしていきたいと思っています。

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第448回 相建エンジニアリング 代表取締役 木越正司さん 2016年6月19日
ゲストは、地震や豪雨による斜面の崩壊を未然に防止するなど、地盤の安定化のための技術を提供する建設会社の相建エンジニアリング・代表取締役木越正司さんです。

【都会で過ごした幼少期】
昭和21年に生まれで、大阪市西区の靱で育ちました。
都会の西区というイメージとは大違いで、戦後まもなくで周りには自然がたくさんありました。昆虫採集などをしていました。実は今の靱公園は飛行場だったんです。

【高校時代は学生運動】
高校時代はデモ活動を行っていました。浪人することは考えておらず、名古屋工業大学の土木課へ進学しました。高校時代に黒部ダムの記録映画を見て感激し、将来は大規模な国家的事業に携わりたいと思っていました。

【土木工学とは?】
土木工学とは、人が住む建築物以外の道路・河川・ダム・トンネルなど、大規模な社会資本を作ること中心に学びます。関東ローム層の地盤管理について研究・実験をしてきました。先生が厳しく、単位取得に苦労しました。趣味でクラシックギターをしていました。

【就職】
建設会社の(株)フジタへ就職しました。学生重役制度というような斬新な制度を取り入れるなど、ユニークな経営に惹かれました。最初は河内長野市の宅地造成工事、そこから中国自動車道の佐用インターチェンジ付近の高速道路建設などに関わりました。

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第447回 大阪府警察本部 交通部長 小澤孝文さん(2) 2016年6月12日
ゲストは先週に引き続き、大阪府警察本部の交通部長である小澤孝文さんです。

【大阪の交通事情】
大阪に来てから、自転車に乗っている人から怒られたことがありますが、他の都道府県と比べると、老若男女、信号を守らない人が多いように思います。

【自転車が関係した事故】
大阪で平成27年中に自転車が関係した事故は1万2000件を超えています。交通事故全体のうちおよそ30パーセントで、2年連続、全国で一番悪い数字となっています。自転車も自動車と同じ車両なので、もちろん信号無視はダメです。道路交通法上の刑罰としては、3ヵ月以下の懲役、五万円以下の罰金が設けられています。大阪府警としては、一斉取り締まり日などを設けて、取締り強化に励んでいます。

【講習制度】
自転車の運転に関して、3年以内に2回、危険行為で赤切符を切られれば3時間の講習を受けないといけません。講習を受けないと罰則が科されます。全国と比較しても、大阪はこの講習を受けた人数がとても多いです。

【自転車に乗りながら禁止されていること】
自転車を運転しながら、携帯電話を操作したり、傘をさしたり、イヤホンで音楽を聞くことは禁止されています。傘を固定する器具も場合によっては、積載違反になる可能性があります。自転車に関する安全ルールを学ぶ機会をもっと作って、浸透させていく必要があります。

【自転車対策室の設置】
昨年の4月から自転車対策室というのを設置しました。取締りの強化、広報啓発活動などを行っています。
最近は自転車の無謀な運転による重大な事故が発生し、それに伴い刑事責任を問われるような判決も沢山でています。決して他人事と済ませず、もう一度、自転車の乗り方やルールについて考えることが大切です。

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第446回 大阪府警察本部 交通部長 小澤孝文さん 2016年6月5日
今回のゲストは大阪府警察本部の交通部長である小澤孝文さんです。
警察の方が番組にゲストで来られたのは初めてで、小澤さんには普段なかなか聞くことの出来ない警察の仕事などの話を伺います。

【警察庁へ入庁】
友人に公務員を目指す人が多くて、自分の影響を受けました。
正義感が強かったことと、先輩の話を聞く中で警察の仕事が一番合っているのかと思い、警察庁を志望しました。
入庁した後は、警察大学校で3ヵ月ほど研修を行ってから、京都府警察に赴任し、交番などで勤務しました。交番の仕事は思ったよりも業務が多かったり、刑事は事件が起これば、昼夜とわず働くなど現場は大変です。
20代で本部の課長になりましたが、周りの先輩が立派に指揮しているのを見て、お手本にしていました。問題があれば一つ一つ解決していくこと、自分のポストで何か変えられることがあるならば、少しずつでも良い方向に変えていきたいと思って仕事をしていました。

【警視庁と都道府県警察】
警視庁と都道府県警察の立場は対等です。基本的には都道府県単位でその地域の治安を維持することをしています。ただ、大規模な災害、テロ、県をまたぐような犯罪の時、警察全体に関わる制度に関してはその上に位置する警察庁が統率をとることがあります。

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第445回 番組パーソナリティー 三枝輝行(14) 2016年5月29日
3ヵ月に渡り番組パーソナリティーの三枝輝行が阪神百貨店で勤めていた当時を振り返る企画は今回でひとまず一区切りです。

【社長時代の思い出に残る出会い】
アメリカのシアトルに本部を置く百貨店ノードストロームと提携を模索していた時、たまたま見かけたキャンドルショップに感激して、このお店を日本で展開できないかと思いました。そのキャンドルショップの本社がサンフランシスコにあり、会社に電話して約束を取り付け、直接会いに行きました。本社に行って分かったことですが、この会社のオーナーがスターバックスの最高責任者であるハワード・シュルツ氏でした。結局は日本で店舗を展開することはできなかったのですが、わざわざ海を越え、本社に行ったことについて、会社の社長はすごく感激してくれました。

【たかがショッピングバッグ、されどショッピングバッグ】
阪神百貨店のショッピングバッグに永田萌の絵を使いました。百貨店のショッピングバッグと言えば、家に帰って捨てられるだけの存在でしたが、永田萌のデザインになってからは、このバッグ欲しさに買い物に来るお客さんが来るほどになりました。

【後悔していること】
社長になって後悔していることがあります。それは営業日を多くしたり、営業時間を長くしたことです。象徴的なものはお正月の営業です。今や1日や2日からお店が開いています。これで日本のお正月の文化を壊してしまったような気がします。また、お中元やお歳暮の時期がどんどん早くなったこと、バーゲンも時期が早くなって、正規の値段で販売している期間が短くなりました。
社長とは専務や副社長と違い、経営に対して自分で決断して、自分で責任を取る仕事です。ということであるならば、自分の意思で、自分色の百貨店を作ることが大切です。今の百貨店は個性がありません。

【社長の資質】
私はサービス業を続けてきた中で大切にしてきた考え方があります。それは「お客さんが言っていることは正しい」ということ。そしてもしお客さんが言っていることが間違っていると思ったら、再び「お客さんが言っていることは正しい」という原点に戻ることです。
社長にとって大切なものは、感動する気持ち、直感力、好奇心、行動力、責任感です。
企業の不祥事を見ていると、社長にこの資質が足りていないと思います。

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第444回 番組パーソナリティー 三枝輝行(13) 2016年5月22日
番組パーソナリティーの三枝輝行が阪神百貨店で勤めていた当時を振り返ります。

【催事について】
ある時、有名ブランドの質流れセールをやりませんか?と誘いがありました。
他の百貨店には有名ブランドが既に入っていたので、このセールは阪神百貨店でしかできない催事で絶対成功すると思ってやってみました。新品同様のブランド品が安く買えるとあって、夜中の3時くらいから行列ができ始めて、大盛況でした。1週間で16〜17億円くらいの売上を記録しました。他にも全国から駅弁を集めた催事や、世界から絵本を集めた催事など、ユニークなものも色々やりました。

【趣味の世界】
友人から能に誘われてやることになりました。月に1回の練習で半年ほど経った時、大槻能楽堂で発表会があり、謡をしなくてはいけなくなりました。衣装を揃えるだけで、150万円ほどかかりました。実際に本番を迎えると、一言も間違えずにできましたし、30分間の正座もしびれませんでした。能はそれが最後で、それ以来していません。
写真に凝っていた時期もあります。京都の舞妓さんや芸妓さんの写真を撮っては、引き伸ばしてプレゼントしていました。

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第443回 番組パーソナリティー 三枝輝行(12) 2016年5月15日
番組パーソナリティーの三枝輝行が阪神百貨店で勤めていた当時を振り返ります。

【既成概念を打ち破ることの大切さ】
食品売り場の改装があり、何の売り場を増やそうかと考えてきた時に思いついたのが果物でした。スーパーマーケットは果物売り場が入口近くに置いてあるのに、百貨店はそれほど力を入れていませんでした。これはやり方次第では面白いことになるのではないかと思い提案しました。みんなに反対されましたが、社長の権限で押し通しました。
ポイントとしては自分の家で食べるもので、安くて美味しい旬のものを揃えることを徹底しました。すると売り上げがグンと上がりました。
一週間に2・3回、売り場に置いてあるものを持って帰って試食していました。ある日、妻が買ってきたものを食べてみると、美味しくなかったので、どこで買ってきたのか尋ねてみると、なんと阪神百貨店でした。今までは部下が気を遣って、私には良い商品を持たせていたことが分かり、激怒したことがあります。その日から自分で売り場に行って、買って帰ることにしました。それから担当者も気が抜けなず、さらに良い売り場になっていきました。

【イカ焼き】
入社した時から行列ができていました。本当に不思議なもので阪神百貨店のあの場所でしか売れないものなんです。あのイカ焼きは京都のお茶屋さんに持って行っても、たいへん喜んでくれました。

【日本一の売り場は一日にして成らず】
「食の阪神」というイメージが世の中に認められた後、バブルの崩壊があり、それまで収益を支えていた衣料品が全般的に売れなくなりました。他の百貨店が困っている中、阪神では台所に直結する食品売り場を作っていたので、非常に助かりました。そこから阪神百貨店を見習えと全国から見学が来ました。
売り場は金をかければ綺麗になるし、取引先も増やすことができるので、なんとなく似たようなものは作れます。しかし、阪神百貨店には勝てません。それは売り場のノウハウだったり、売り場に思いや愛情が違うからです。また専務の岡村君という食品のプロがいたことも大きかったです。取引先の中に入り込んで、一緒になって売り場を作っていくような人は他の百貨店にはいませんでした。

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第442回 番組パーソナリティー 三枝輝行(11) 2016年5月8日
番組パーソナリティーの三枝輝行が阪神百貨店で勤めていた当時を振り返ります。

【取引先との出会い】
阪神百貨店に出店してもらうために色んなところへ行き、出店の交渉をしてきました。阪神百貨店の名前を知らない人も多いので、そんな時はタイガースの名前を良く出していました。断られたお店の方が「絶対入ってもらう」と意気込んで何度も交渉に出かけたのを覚えています。

【食の阪神として知名度が拡大】
食品に力を入れ始めて2年ほど経って、阪神百貨店の食品売り場が面白いという評判が徐々に広がり始め、例えば阪急電車に乗ってきた人も阪神百貨店まで買い物に来てくれるようになりました。そのまま口コミが広がり、4年ほど経って阪神百貨店の食品売り場は素晴らしいというのが多くの人に知られるところになりました。
今の百貨店には特色がないように思えます。

【スイーツを毎日食べる】
食品は見ただけでは分かりません。見た目がいいから美味しいとは限りません。そのチェックのために阪神百貨店の社長として、きちんと食品のことを知ろうと思って、食べてみてチェックするようにしていました。
例えばスイーツを毎日3つずつ家に持って帰って食べていました。医者から止められるまで7年半くらいその生活を続けていました。来客がない時は自分のところの商品を昼食にもしていました。

【感動のある売り場とは?】
食品売り場を作る時に感動のある売り場を作ろうと思い、どうすれば感動してくれるのか色々考えました。その時に考えたのが一つに圧倒的な品揃えです。醤油一つでも、棚一面にずらっと何百種類も並んでいたら見た目のインパクトも含めて感動してくれるものです。
食品は誤魔化しがききません。お客さんの口は正直で、少しの味の変化でも客が離れていったり、また増えたり、本当に分かりやすいです。

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第441回 番組パーソナリティー 三枝輝行(10) 2016年5月1日
番組パーソナリティーの三枝輝行が阪神百貨店で勤めていた当時を振り返ります。

【食の阪神百貨店へ そのきっかけ】
これまでの百貨店は衣料品の売り上げが大きく、そこで儲けを生み出しているような形でした。阪神百貨店も同じでしたが、目の前にある阪急百貨店と比べてみた時に、衣料品の分野では阪急百貨店に勝てないという現実がありました。
そこで何か違う武器を作らないといけないと思い、考えたのが食料品でした。
食料品売り場も当時は阪急百貨店が日本一だったんですが、衣料品に比べればまだ勝てる可能性があるかもしれないと思いましたし、阪神百貨店がこれから先、生き残っていくためにはあれこれ考えている暇も選択肢もないような状態だったと思います。
まずは売り場の通路を広げて、ゆったり買い物できる場所を作るところから始めました。
通路を広げたために売り場が狭くなったので、辞めてもらうお店と交渉するなど、大変な作業でした。また、売り場をジャンル別にレイアウトし直すことで、商品の整理ができました。

【非日常ではなく日常を売る】
それまでの百貨店はたまにオシャレをして出かけていくような、非日常を提供するイメージがありました。しかし、それよりも毎日来てもらうようなお店にしたいと思い、家庭の台所といかに距離を短くするかを考えました。活気がないと来てくれないだろうと思って、毎日何かお祭りのような昂揚感を演出し、実際に物をみて楽しみながら買い物ができるような売り場を目指しました。

【社員全員が仕入担当者 スピード感を重視】
百貨店に商品を入れようと思うと、相手先の審査などで多くの手間と時間がかかっていました。半年や1年かかることも普通にあったので、そこはスピードを重視し、すぐに入れるような仕組みを作りました。また、社員一人一人が仕入担当者となって、出張先で見つけた商品、プライベートな旅行で出会った商品など色んな提案をさせるようにしました。自分も主張先で見つけた商品を部下に行ってすぐに仕入れさせたことも良くありました。

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第440回 番組パーソナリティー 三枝輝行(9) 2016年4月24日
番組パーソナリティーの三枝輝行が阪神百貨店で勤めていた当時を振り返ります。

【社長になって、絶対にやろうと思ったこと】
社長になって絶対にやろうと思ったことがあります。それは「現場に出る」ということです。できる限り売り場に出て女子社員と言葉を交わし、そこから売り場の生の情報を得ていました。情報のスピードに関しては、担当の部長や課長よりも早かったと思います。
どうしてそんなことをしたかと言うと、報告という形式ばった形で売り場の情報を吸い上げると、基本は良い事ばかりで、悪いことは隠されてしまうからです。
隠されるということが上に立つ者にとって一番危惧しなければいけないことです。

【個人的な趣向を売り場へ反映する】
孫が生まれて、8階の隅にあった子ども用品の売り場を6階の一番良い場所へ移動させました。その時は「僕が欲しいと思うんだから、お客様もきっと欲しいに違いない」と思いました。担当の社員は無茶苦茶だと思ったに違いありませんが、結果的には当時それほど大きな売り場を取っている百貨店が少なかったので、注目され売り上げが上がったので良かったです。
自分の趣向をフロアに反映することは悪い事ではないと思っています。ワンフロアを任されるような部長だった時は、売り場は自分の部屋だと思っていました。その中で自分の良いと思ったカラーをきちんと売り場に反映できれば、統一感が出るし、ブレることはないと思っていました。

【女性社員の底力】
阪神百貨店には松下電機の商品が並んだナショナルショールームがありました。それが撤退することになり、300坪〜400坪の売り場が空くことになりました。そこで女性社員3人に「美」「健康」「癒し」をキーワードに売り場を作らせることにしました。上司に対しては口出し厳禁にして、社長直属のプロジェクトとしました。そうして1年かかりで百貨店では初めてとなる売り場が完成しました。
「女性の活用」が声高にさけばれていますが、女性の活用をするなら、責任ある仕事を口を出さずに任せることが一番重要だと思いました。

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第439回 番組パーソナリティー 三枝輝行(8) 2016年4月17日
番組パーソナリティーの三枝輝行が阪神百貨店で勤めていた当時を振り返ります。

【社長に就任 まず初めに】
平成7年に社長に就任し、一番最初にやったことはメインバンクに借入していた余分なお金を全て返済しました。銀行側がなかなか応じなかったので、こちらから一方的に振り込みました。これによって立場が対等になって、逆に銀行側が相談を受けるなど、関係性が良くなりました。

【慣習を廃止】
取引先が年始の挨拶に来るなど、百貨店には昔からの慣習が根強く残っていました。
こんな無駄なものはないと思い、様々な慣習を撤廃していきました。代表的なものとしては、取引先からの中元歳暮の受け取りの廃止です。この廃止に関しては売り上げが減ると抵抗を受けましたが、最後まで譲りませんでした。また、エレベーターガールについても廃止しました。

【阪神百貨店1階の住友銀行】
1階部分に住友銀行の支店がありました。これからお客さんがたくさん入ってくる時間に閉店するし、場所も取るので追い出してやろうと思っていました。2年から3年の間、ずっと支店長に言い続けていたら、銀行の役員会の中でその話が話題に挙がって、出ていく話になりました。しかし、撤退の費用については百貨店の負担になることがわかり、出ていく話は中止になりかけましたが、銀行側で支店の統廃合の話が出てきて、最終的にはこちらの負担なしで閉店することができました。

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第438回 番組パーソナリティー 三枝輝行(7) 2016年4月10日
番組パーソナリティーの三枝輝行が阪神百貨店で勤めていた当時を振り返ります。

【首を覚悟で…】
課長時代に首を覚悟で臨んだ仕事があります。当時、営業担当の専務がいたんですが、人間的には好きだったんですが、売り場の改修を独断専行でやり直させるなど、目に余る行動をたびたび取る人がいました。その人がこのまま百貨店にいてはダメになると思い、経営協議会という会社のオフィシャルな場所でその専務について弾劾しました。
結果的にその人は子会社に行き、代わりに優秀な人が百貨店に帰ってきたことで、百貨店の改革が進み、立ち直りのきっかけになりました。

【社長になった年は激動のはじまり】
阪神大震災が起こり、その一ヵ月後には父親が亡くなるなど激動の始まりでした。台湾のオーナーが飛行機でお葬式の会場までやってきてくれて、とても嬉しかったです。5月には5年かかった高雄の百貨店とホテルが完成し、6月に社長に就任することになったんですが、それまでは社長になると思っていませんでした。社長になって決めたことは、「10年経ったら辞めよう」ということでした。そこから全ての責任は私にあると思って、その代わりに保身も考えないし、やりたいことはやるというワンマン体制を取りました。

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第437回 番組パーソナリティー 三枝輝行(6) 2016年4月3日
番組パーソナリティーの三枝輝行が阪神百貨店で勤めていた当時を振り返ります。

【台湾・高雄での百貨店とホテルの開業に向けて】
台中に百貨店を作った経験から、その時のオーナーの一人から依頼が舞い込みました。持ち込まれた設計図はホテルと百貨店の建物が別々になっていました。見ている間に一棟にまとめた方がいいと思ったので提案しました。最初は断られましたが、受け入れられ、再び1年かけて再設計してくれました。開発の途中で地下から水が湧きだすなど、問題がたくさん出てきました。開業まで5年の歳月がかかるビックプロジェクトでした。

【オープン四日前に停電】
オープン一週間前くらいから商品の搬入などが始まりましたが、オープン四日前のお昼に全館に渡って停電が起こりました。オーナーと話をしてオープン日をずらす提案をしました。最初は受け入れてもらえませんでしたが、もし事故を起きてはダメなので、断固として譲らず、結果的にオープン日をずらすことになりました。

【オープン直前に帰国】
対等な立場でやり取りしていたと思っていたオーナーの秘書の振る舞いに関して許せないことがおきました。その怒りが収まらず、上司に相談もせず次の日の朝一番で日本に帰りました。帰りの飛行機の中で阪神百貨店を辞めることなると腹をくくっていました。それから毎日オーナーから謝罪のFAXが届いたので、それを受け入れオープン日には台湾にいきました。

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第436回 番組パーソナリティー 三枝輝行(5) 2016年3月27日
番組パーソナリティーの三枝輝行が阪神百貨店で勤めていた当時を振り返ります。

【部長になってから真面目になりました】
41・2歳の時に部長になりました。阪神百貨店では部長職になる時はそれまでの辞令とは違い、社長から自宅へ電話がかかってきました。30代はタバコ、遊びも結構しましたが、40歳の誕生日からは徹底的に仕事をしてやろうと思って、タバコと京都へ遊びに行くのをやめました。タバコは今だに吸っていませんし、京都もそれから12年ほど足を踏み入れませんでした。

【1階のフロア長として】
部長になった時に百貨店の1階のフロア長にもなりました。1階は化粧品などのフロアで、それまではあまり行ったことがありませんでした。化粧品売り場の課長から「百貨店は男女問題にうるさい。化粧品売り場に行かない方がいい」と言われましたが、それが気に障って半年ほど化粧品売り場に入り浸りました。化粧品の販売員さんなど外部のスタッフを可愛がるうちに、みんなが阪神百貨店のために売り上げを伸ばそうと思ってくれて、売り上げがすごく伸びました。なかでも資生堂は全国でも有数の売り場に変わりました。当時の資生堂の社長からその理由を聞かれたくらいです。

【新しいハンカチ売り場】
今まではケースの中でハンカチを展示し、お客様から言われたら取り出してお客様に見せるという売り場でしたが、それを変更して、ケースの上に出してお客様が自由に選べるようにしました。業者からはそんな売り方をしたら商品を引くというように言われましたが、実際にやってみると売り上げがどんどん伸びていって、業者も間違っていたと認めました。それの売り場が話題になって、全国の百貨店へと広がってきました。

【台湾の高雄に百貨店】
台中の百貨店の経験から高雄にホテルと百貨店をつくる計画に参加することになりました。最初の設計段階ではホテルと百貨店が別棟だったので、一つの建物にするように言って、1年ほどかけてホテルと百貨店の位置関係や動線の確認などを1年かけてやりました。

番組へのご意見・ご感想をお待ちしております。
宛先は・・・
<ハガキの方> 〒530−8304 MBSラジオ 「 三枝輝行の商い勘所 」
<メールの方> sae@mbs1179.com

第435回 番組パーソナリティー 三枝輝行(4) 2016年3月20日
番組パーソナリティーの三枝輝行が阪神百貨店で勤めていた当時を振り返ります。

【台湾の台中】
課長時代に厳しい統制下にあった台湾の台中で百貨店をオープンさせるプロジェクトに参加しました。当時の台湾は違法でありながら、女性目当てに来る日本人も多く、それを見ていると日本人の男性として本当に恥ずかしく、そして現地の人たちに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

【台中に百貨店を】
当時の台中はすごく田舎で、商品の取り寄せから、社員教育まで本当に骨の折れる仕事でした。サービス業が何かということから教えていきました。1年半くらいかかって要約形になってきたくらいです。また台湾内部の民族問題などもあり、社員教育には苦労しました。
最初に台湾に行ってから2年ほど経って、百貨店がオープンした時はとても嬉しかったのを覚えています。それが後の高雄の百貨店にもつながっていきます。
何回も行き来したので、空港の警備隊長とも仲良くなりました。

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第434回 番組パーソナリティー 三枝輝行(3) 2016年3月13日
番組パーソナリティーの三枝輝行が阪神百貨店で勤めていた当時を振り返ります。

【紳士の肌着売り場を面白く】
紳士の肌着売り場の担当になった時、この売り場を変えてやろうと思いました。
その一つとして、当時、男性の下着で色鮮やかな下着がなかったので、色や形にこだわった色んな種類を作って売り場にディスプレイしたところ、全国の百貨店から視察に来たり、新聞などで話題になりました。
また自分でも履いて、北新地などに行って宣伝していました。

【生地売場をなくす】
当時の百貨店には、反物を売っている生地売場がありました。生地を買って自分の家で裁縫する人がどんどん減り、売り上げが減る一方だったので、なんとかお願いして在庫を名古屋の生地の会社に引き取ってもらいました。何度も諦めずに交渉に出かけて、契約をまとめるのに1年くらいかかりました。
棚卸もすごく大変だったので、売り場をなくせて本当に良かったと思います。

【大手メーカーと大ゲンカ】
「目の前にある阪急百貨店には売れ筋の商品が入るのに、自分たち阪神百貨店にはそんな商品が入らない」そんな思いと戦いながらの百貨店人生でした。それを象徴するような事件があります。
阪急がいらないといったある紳士ブランドを阪神に入れたところ、すごく人気になり、売り上げが伸びました。すると突然、ブランドを抱えるメーカー担当者が「あのブランドをひかせてくれますか?」と言うんです。そんなことを突然言い出すのはおかしいので、目の前の百貨店から言われているのだとピンときて、そんな理不尽なことを言うんだったら、そのメーカーの紳士服すべてを
売り場からひかせると言って、実際に撤去しました。
大問題になりましたが、クビをかけてでもこんな理不尽なことには向かっていかなくてはいけないと思いました。阪神百貨店とメーカーのトップ、そして私を交えた三者で話し合いをして、最終的には自分の意見が通りました。

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第432回 番組パーソナリティー 三枝輝行(2) 2016年3月6日
番組パーソナリティーの三枝輝行が阪神百貨店で勤めていた当時の思い出を振り返ります。

【オリジナルブランドを作る】
モノを置けば売れている時代でしたが、与えられたモノを売るだけの仕事には疑問を感じていました。そこで自分で商品を作ろうと思い、糸のメーカーや編み物工場と掛け合ってオリジナルのセーターを作りました。それを持って、阪神百貨店に限らず北海道から鹿児島の百貨店を回って売りました。当時で1億円くらい売れました。

【抗議で会社を休む】
そんな売り場の主任をしながら全国を売り歩いていたのを、遊び回っているとウワサを流されました。そして上司から「許可も得ずに勝手に何をしているんだ」と事実も確認せずに叱責され、これだけ会社の売り上げに貢献しているのにと心外だったので抗議として会社を休みました。3週間ほど休み、会社を辞めるつもりでいたんですが、部下たちがきちんと働いていたことを証言してくれて、最終的には上司が謝ったので、現場に復帰することにしました。

【阪急への対抗心】
大きなメーカーの担当者の中には百貨店の売り場の主任や課長のことを相手にしないような人がいます。しかし、私の場合は上の言うことを聞かず、自分の思ったことをやるタイプだったので、そんなメーカー相手でも物おじせずに自分の思う通りの売り場を作る改革を結構しました。そんな中でもメーカーによっては「阪急百貨店だけ」という所も多く、阪急百貨店には負けたくないという思い強くなっていきました。

【No1のヤングファッション売り場】
役職が上がっていって、課長になった時に取り組んだのがヤングファッションのフロア作りでした。大阪で1番の売り場を作りました。そんな中でどうしても入って欲しいお店があって、東京の会社へ行ったことがありました。アポイントの時間を2時間ほど過ぎても待たされ、人を人とも思わないような対応に腹が立ちましたが、それでも負けず根気強く交渉し最終的にはお店に入ってもらいました。しかし、その会社は結局大した売り上げも残せずに最終的には潰れてしまいました。やっぱりそんな対応をする会社はダメになると学びました。

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